世界一周ブログ131日目は、
「思い込み」というものについて考察してみます。
先日、ある事件がおこりました。
ラスベガスのとあるカジノホテルに宿泊した夜の23時、
「最後に一発、ルーレット勝負してくる」と言い残して
ヨメは1階にあるカジノへ一人向かいました。
ところが、0時になっても戻ってきません。
1時になっても帰ってこないあたりで、ウトウトしてしまいました。
ハッ! と、4時半に起床。
隣のベッドは空。
「向かいのホテルのカジノまで行く、というようなことも言ってたから
もしかしたら何かあったんじゃ…」と飛び起きて、寝間着のまま探しに行きました。
カジノに到着。
夜は多くの人で賑わっていましたが、この時間はパラパラ程度。
スロットにはおそらく行かないでしょう。
ルーレット。ここにはいません。
ブラックジャックのテーブル。ヨメ発見。
怒りを抑えながら「心配したよ」とだけ声をかけて部屋にもどりました。
そして翌日。
「どうして、こういうことをするの?」と問いかけると
「寝てると思った」 とヨメ。
「寝てると思った」
…
そういえば、よくウチのヨメは「○○だと思った」と口にします。
その度に、いいようのない脱力感
(呆れて何も言う気がおこらない感じ)に襲われてました。
言い訳としての「思い込み」とは何なのでしょう。
思い込みとは「責任転嫁」であり、そこには「反省」 も 「プロセス」もありません。
ゆえに最も軽率なエクスキューズだと思うのです。
なぜならば、「○○だと思ってた」という弁解には、
「私は悪くない。誤解が生んだアンラッキーだ」 というニュアンスがあります。
いや、「誤解」というのは「誤解」に対して失礼かも。
ただ、想像力を働かせようとしなかっただけのこと。
ただ、確認を怠っただけのこと。
多くの場合は「誤解」というレベルにすら達してません。
仕事でも同じです。
仕事の方が顕著でしょうか。
例えば10時の集合時間に後輩が1時間遅れでやってきたとします。
「11時だと思ってた」
こう言われては何も言う気がしませんよね。
「前日に確認しようよ…」という言葉を飲み込み、
“一緒に仕事をすると危険なヤツ”リストに名前を書き込みます。
そりゃ、思い違いをなくすのは無理ですよ。人間ですもの。
でも仕事で「○○だと思ってた」を多発するヤツは、
間違いなく「報・連・相」すら上手にできないヤツです。
(と言いつつ、自分も気をつけないと…。ラクな言い訳ですからね)
そういえば、「思い込みで仕事をするな!」と部下をよく叱っていたな、と、
ヨメの「カジノ朝帰り事件」で、日本にいる上司のことを思い出すのでした。
はらだいち
追記:
「○○だと思ってた」という言い訳をなるべくしないように、という約束と、
一連の出来事をブログに書くという了承で、この事件は収束しました。
めでたしめでたし!?
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