世界一周初心者のヨメブログです。
今日からサントスの育った山の上にある電気も水道もガスもない村に
泊まりに行かせてもらう。
カトマンズのサントスの自宅から歩くこと30分で大通りへ。
大通りで50分待って、バスをつかまえて2時間揺られて山の麓へ。
ほったて小屋みたいな八百屋で分度器を使って天秤により重さを量って野菜購入。
同じくほったて小屋みたいな屋台レストランで昼食。
さて、ここから山を一つ越えて、もう一つの山の上が目指す村。
歩きますよ~~。
この旅でてから本当によく歩くようになった。
数時間歩くことが気持ちいいと思えるようになった。
日本にいたときは電車とタクシーに頼りっきりだったから、
1時間以上歩くってことめったになかったもん。
滑りやすいと言われているオールスターのスニーカーだけど
私はこれでいいのだ。これで歩いてみせるのだ。
ごっつい登山靴買っちゃうと街中で履けないじゃない?
それに、一緒に歩いてるサントスの妹のアンジューと姪っ子のエリッサは
レギンスにサンダルという出で立ち。
彼女たちより10歳年上ですが、負けてられません!
登り始めて1時間、汗もだくだくで息も切れるころからなんだかアドレナリンが出て、
妙に気持ちよくなって同じテンポで歩き続けたくなる。
たまに木陰で休憩。
ネパールの人は即席ラーメンをよく食べる。
お湯がなくてもおかし代わりにベビースター、いやラーメンバー並みにぼりぼりと食べる。
基本は朝ごはんは食べずに11時ころにお昼ご飯、
3時に軽いごはん(ここで即席ラーメンがよく登場する)
夜8:00ころにたくさんの夕ご飯を食べる。
木陰でも即席ラーメンをくだいて、調味料を入れてまぜてぼりぼりと。
3時間半歩いたところで村の入り口に到着。
入口のおうちで歓迎で出してもらったラッシーみたいな牛乳を発行させた冷たい飲み物、
すっごくありがたいしおいしかったんだけど、おなかのことを考えると
怖さもあって、大半残させてもらった。
申し訳なくて心が痛む。ゴメンナサイ。
どこからともなく子供が集まってきて、
気づいたら歩いてる私と手をつないできた。
外国人の女性がめずらしいのかもしれない。
あっという間に村の子供たちに取り囲まれて、
走り出す子供たちに手を引っ張られるままムコたちとはぐれて見知らぬお宅へ。
「ナマステ。どうも…。」
「こっちがお母さんでこっちがお父さん。私のおうちなの」嬉しそうな笑顔の女の子。
遠くで私を呼ぶ声。そら、探すわな。
まだ何か話したそうな女の子に「メロナム マキ ホ」と名前を伝えると
「あとで遊びに行くよ、マキ」とのこと。
(ちなみにたまに単語の英語は混じるもののほとんどネパール語なのでなんとなく理解、です)
彼女の家から1分くらいのところにサントスの育った家があった。
1年前に家族中、おじいちゃんもおばあちゃんもカトマンズの町に引っ越してきちゃったから
今は空き家のサントスの家。
土台は石、そのほかは土でできてる築100年以上の大切にされてきたお家。
あの家に外国人が来てるよ、という噂は小さな村ではすぐに広まったらしく、
30分後には大勢の子供たちがサントス家の前に集合。およそ20人くらい。
みんな自分たちの名前を教えてくれて、「踊ってよ」という。
踊る??
日本人にとっては慣れない行為だが、村の子供たちにとっては遊びの一環で自然なこと。
「見本を見せてよ」というと手拍子とともに歌をみんなで歌って数人が踊ってくれた。
みんなケラケラ、にこにこ、最高に楽しそうに踊る。
「じゃあ、次はマキとダイチの番」ということで、
見よう見まねで踊ってみたけど、そんなにうまく腰とか手首とか動かないよ~。
変な日本人の踊りを見せてしまいました…。
誰かが家から太鼓を持ってきて、太鼓のリズムも加わって、踊り大会は続いていく。
踊り始めは夕方だったのに気づいたら周りは真っ暗でひとつの懐中電灯の明かりの元、
みんなで歌い踊り続ける。
日本の歌を教えてよ、というのでキャンプファイアーを思い出して輪唱のできる『大きな歌』と
ネパールでも今放映されている『ドラえもん』のオープニング曲を披露した。
そのほかにも『上を向いて歩こう』とか『森のくまさん』とかムコと二人で熱唱した。
でも、日本の歌ってゆったりで踊れないよね、ごめんね。
日本の踊り、ということで『東京音頭』も歌いながら披露。
子どもたちもウェルカムの歌を歌ってくれた。
英語ができる14歳のロションによると「この村に来てくれてありがとう。歓迎するよジャパニーズ」って意味らしい。
踊って踊って攻撃と日本の歌歌って攻撃にあいながら、3時間。
子どもたちはまだまだパワフルだったけど、夕飯の時間です。
「明日の朝またね」とみんなそれぞれ自分の家へ帰って行きました。
ヘトヘトの31歳(^^ゞ
これはすごい日々が始まりそうです。
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