世界一周ブログ - 夏を追いつつ世界一周をしています。

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  • カトマンズでホームステイ生活

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    世界一周初心者のヨメブログです。

    インドのデリーから飛行機で1時間半、お隣のネパールへ。
    向かったのはネパールの首都カトマンズ。

    カトマンズの町。商店や路上八百屋が並んで活気に満ちてる。人もみんな親切。

    ここでは地元の方のお宅にホームステイさせていただく。
    経緯は、私の弟が5年前に一人旅でカトマンズへ。
    そこで土産物屋の店主と友達になり、今でも親交が続いている。
    その友達の家に今回お世話にならせていただくのだ。
    つまり、初めましての夫婦がいきなり自宅に泊めてもらうという
    なんとも厚かましいお話(^^ゞ

    事前にメールで連絡を取り合い、彼のお店で対面をすることに。
    カトマンズのタメール地区と言うお土産物屋やホテルが並ぶ賑わっている地域に
    お店はある。でも、住所はない(笑)
    『タメールの中のストゥーパ(仏塔)を目指してやってきて。その近くにお店があるから。』
    とのこと。
    タクシーのお兄ちゃんもストゥーパはどこにあるか知らないそうなので町に着いたら徒歩で探す。
    タクシーを降りて、道々、20メートル進んでは人に尋ねながら歩く。
    ネパール、みんな親切。
    仕事の手を休めて、丁寧に教えてくれる。
    いろんな人に助けられながら歩くこと10分、あった、ストゥーパ!
    高さ2メートル強。小さいっ!これは地元の人しか知らないわ~。
    お店を発見して中にいた店主に声をかけると、笑顔で迎えてくれた。
    彼の名はサントス。年は31歳で同じだけど、学年は1こ下。
    彼の原チャリにバックパックごと乗っけてもらい、5分で彼の自宅へ。

    これはかなり大きいストゥーパ。モンキーテンプルにて。

    まだ新築だという彼の家は4人兄弟の家族が全員住んでいて、お父さんお母さん、
    おばあちゃんおじいちゃんもいる12人の大家族。あとペットの屋外犬、1匹。
    となりの家には伯母や伯父が住んでいるので、リビングに全員が集まると
    20人ちょっと。すごい大家族。
    典型的なネパールの暮らしを体験させてもらう。
    シャワーは水。トイレは水洗でしゃがむ形式で水道の水でおしりを洗うタイプ。
    靴は玄関で脱いで裸足でペタペタコンクリート張りの廊下も
    絨毯のひかれた部屋も移動する。
    洗濯は屋上で大きな桶を使って手洗い。
    キッチンはコンロが3つに電気ケトル。小さな冷蔵庫がひとつ。
    たいていの野菜は常温でテーブルの上に保管。
    水道水は飲用に最適ではないので一度煮沸するかろか機を通してから飲む。
    ご飯は大きな銀の皿にお米とカレー風味のおかずが3種類くらい乗っていて、
    ダルスープと呼ばれる塩味の豆スープをかけて右手でいただく。

    サントスの2歳の男の子とおばとおばあちゃんと。みんないつもにこにこ。言葉は通じないけどかまわずジェスチャーとヒンズー語で話しかけてくれる。それでも何を言ってるか分かっちゃうもんなんだな。

    新鮮。
    こうやって一歩生活に踏み込んだ世界を見せていただけるのは
    本当に貴重な体験。
    ここではお客様じゃなくて、一緒に生活する人として滞在したかったから
    料理も洗濯も犬の餌やりも家族だんらんの会話にも全部参加させてもらう。
    いつでも家族は笑って、いいよ、やってみな、って言ってくれる。

    ネパールでは既婚女性は赤いものを身に着ける。
    サリー(一枚布でできた洋服)もネックレスもブレスレットもおでこに着けるティカ(印)も
    生え際に入れる赤い粉を使った印も、ネイルも、口紅も。
    これが全部そろって、既婚女性の装い。
    「牧は結婚してるのになんで赤くないのだ?」と言われ、
    女性陣によるメイクアップ指導がスタート。
    アイラインも上下にバッチリ入れる。
    リキッドアイライナーの後にペンシルアイライナー。下まつげの内側も黒く塗る。
    メイクされてたら、隣の部屋、隣の家からも日本人の変身を見ようと続々女性が集まってきた。
    6人くらいに見守られ、ひとつひとつが完成するたびに「おー」という声が上がる中でのメイク。
    鏡を見せてもらえないから、自分がどうなってるのか…。
    女性陣はさらにヒートアップして、自分たちのサリーやらサンダルやらブレスレットやらを
    それぞれのタンスから持ってきてくれて大着替え大会へ。
    サントスの奥さんが結婚後に着ていた赤いサリーを貸していただき、
    おばあちゃんが結婚時におじいちゃんからもらったという赤いビーズのネックレスを貸してもらう。
    ギャー、みんなの大切なものだらけで怖くて身動きとれないよー。

    こんな衣装、モーニング娘。踊って以来です。。おでこのティカ(赤い印)を出さなきゃだめなので前髪があるのはNG。ピンであげられちゃってでこっぱち。

    サリーを着せもらってムコがいる男性陣の部屋や生まれて1週間の赤ちゃんがいる部屋を
    楽しそうな女性陣に囲まれながら歩いて見せて回る。そして写真大会(笑)
    「牧、これでやっとネパーリーだよ。goodだよ」と褒めたたえてくれる女性陣。
    ネパーリーの一員、家族の一員にちょっとなれた気がして、うれしい初日の夜。

    さて、このあとサントスの生まれ育った電気も水道もガスもない山の中の
    小さな村で滞在させてもらいます。

    *旅メモ*
    デリー~カトマンズ LCCのspice jetでひとり片道4250インドルピー

  • 道なき道を進む

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    わしゃあ、もうへろへろやー!! でもまだまだビレッジは遠い…。

    世界一周ブログ@ビレッジ(ネパール)です。

    ビレッジへ向けてトレッキング。
    3人だと思っていたパーティーが6人になったのは前回説明した通りですが、
    ネパール人の山歩きの「慣れっぷり」はハンパじゃない!

    僕らが向かっているのは観光客用の山村ではないから、
    道はまったくといっていいほど整備されてません。
    なのに、足元はサンダル…。
    しかも歩くのが超早い(特に下り)。
    17歳のコムスメに、「遅い!」としかられる32歳…。

    給水方法もすごい。
    僕らは当然ペットボトルを持っていきましたが、彼らは手ぶら。
    どうしたかというと、まあ湧き水を飲みますわな。
    でも、湧き水がないところもありますわな。
    そんな時は「誰かんち」を見つけて水をご馳走になるワケです。
    ネパール人、皆家族。そんな印象を受けました。

    極めつけは、何といっても記憶力。
    道はすべて獣道。時には干上がった用水路を進んだり。
    僕とヨメだけだったら、100回行っても道を覚えられないでしょう。
    なのに彼らは迷わず突き進んでいます。
    「はぐれたら、死ぬ」
    何度そう思ったことか(笑)。

    彼らなら2時間半で着くという道のりを3時間半かけて村に無事到着。
    村の子供達、最初はようすをうかがっていたけれど、
    すぐにぐぐーっと近くに寄ってきて、
    気がつけば僕らは彼らのおもちゃとなってました。

    夕方から始まったダンスパーティは夜まで続く…。それにしても俺の動き、気持ち悪い。

    今日の「ねぐら」は、サントスがもともと住んでいた家。
    今は誰も住んでいないから、中はホコリだらけ。
    全部の部屋を掃除していたらそれだけで旅が終わってしまうので、
    3畳ほどの広さの「元サントス寝室」を軽く掃除して、
    6人で「州の字」になりながら眠りましたとさ。

     

     

     

    はらだいち

  • 絶対に負けられない戦いが、そこにはある。インド鉄道。

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    世界一周初心者のヨメブログです。

    ブッダガヤの路上のシール屋さん。傘の内側にシールが並べてあって、おじさんはたまにこれを以て移動しながらシールを売り歩く。2枚買って4ルピー(6円)だった。購入の様子を撮ろうとカメラを取り出したら周りにいたお客とお店のおじさんがカメラ目線でポーズ。いやいや、あなたたちを撮ろうと思ったんじゃないんですけど。。

    ブッダガヤを後にして、いざインド鉄道で首都デリーへ!
    ガヤ駅からニューデリー駅までは速い列車でも11時間かかる。

    日中移動だと丸1日潰れちゃうから、夜行列車を選んだ。
    宿代も1日浮くしね。
    夜22:54ガヤ駅発のクーラーと食事つきの寝台列車を予約。
    超貧乏バックパッカー旅なら迷わず地元の人と同じクーラーなしの
    座席車両なんだろうけど、辛いのイヤなの(*^^)v

    インドの鉄道は夜中もバンバン走ってる。
    3時発とか4時発とかもざらで、みんな駅や駅まわりの道路にごろーんと寝転がって
    列車の時間を待ってる。
    だから駅にたどり着くまで、寝てる人を踏まないように気を付けながら
    寝てる人と人の隙間を歩いてかなきゃならない。

    インド鉄道の駅構内掲示。いやいや、全く読めません。だいたいこの時刻通りに電車動いてないし。

    やっと駅にたどり着くも、電光掲示板に私たちの乗る列車の表示がない。
    インドの鉄道はわかりにくいことでも有名。
    各国からの旅行者も多いはずなのに、駅構内に英語の表示一切なし。
    アナウンスもすべてヒンズー語。
    何番線で待っていればいいのか分からない。
    こういう時は聞くに限る。
    駅員のオフィスに行ってチケットを見せて確認すると「4番線だ」とのこと。
    ホームを移動しているともう一つオフィスを発見。
    念のため、別の駅員さんにも再確認。「1番線だ」とのこと。
    え?え?駅員さんの言ってる場所がそれぞれ違う?どっちが正解?
    ホームにいた信頼できそうなおじさまに聞いてみると「3番線だ」だって。

    デターーーーー!!!インド!!
    ホームは全部で5番線まである。
    うろうろ移動したり聞いたりしてたから列車の発車時刻まであと10分しかない。
    どうしよう…。
    もう、自分でなんとかするしかないっ!
    とりあえず列車が入ってきたらダッシュでそのホームまで駆け込み、
    その列車の車体に書かれた行先と列車番号を自分の目で確かめる、という方法に。
    いまホームに列車が停まってるのはとりあえず3番線のみ。
    3番線へGO! ホーム入口に駅員がいたから私たちの列車か聞いてみると、
    「わからないなぁ、あっちの駅員室で聞いてきて」だって。
    駅員室に行ってもわからないから困ってるんじゃい!
    ホームに立っててこの列車かどうか分からないはないでしょうよ!
    実際に、自分の目で電車の車体を確かめてみると、どうやら行先が違う様子。

    そんなこんなであたふたしてるうちに発車時刻を過ぎてしまった。
    でも、電車は来ない。
    これはインド鉄道あるあるの「遅れてる」という状況だろう。
    ネットや本で遅れるのは日常茶飯事だと見た。
    投稿には15時間遅れてやって来た、というものまであった。
    私の弟の体験談でも14時間で到着する予定が36時間かかって到着した、と言っていた。
    じゃあ、いったいどのくらい遅れてるのか?
    15時間ものあいだ列車が入ってくるたびホームに駆けつけるなんてできない~!
    ホームにもなんの案内もないし、一体どうやってインド人はホームが分かってるんだろう?

    昼間のホーム。表示が全くなくてわからない。IT先進国なんだから、電光掲示板くらいつくっておくれ。

    電光掲示板に新たに表示が出てないか、とか、
    駅員さんにもう一度確認に行ってみよう、とか
    あ、4番線に電車が来た、確認ダッシュ!とかやってたら、もうへとへと。
    しかもなぜか4番線の隅からもくもくと煙が立ち上ってて周辺は目も開けられないほどの煙さ。
    だれかがこんな夜中にごみを燃やすたき火をしてるみたい。
    もう、なんなんだよぅ!

    結局、何度も確認して、ふたりの駅員さんが「4番線にこのあと来る」と同じことを
    言ったので、これを信じて待つことに。
    ホームにいた身なりのいいおじさんにも確認すると、たしかに4番線でいいらしい。
    ただ、同じくニューデリーに行くおじさんの乗る列車もまだ来ていないらしく、
    私たちの列車はさらにあと。
    数本列車を見送った後、おじさんは自分の列車がやってきてニューデリーへと旅立っていった。
    同じニューデリーに行くのに、この列車には乗れないなんて。
    頼りになるおじさんがいなくなり、あとどのくらい待てばいいのか途方に暮れる。

    ちょっと冒険してみたいと思って選んだインド鉄道移動。
    こりゃ、期待に応えてくれすぎるてる。
    結局、1時間近く遅れて待っていた4番線に列車がやってきて、無事に乗車。
    乗っちゃえばクーラー聞いてるし、シーツも枕もあるし、ベットだから横になれるし、
    コンセントプラグもついてるし、これ、快適。

    朝にはチャイセットやご飯も配布され、1時間の遅れも取り戻して
    予定より少し早くニューデリーに到着。

    インド鉄道、こりゃ名物になるわけだ。

  • 何だか楽しいね

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    ビレッジへと向かう途中、エリッサ(17歳)と爆笑するヨメ。

    大して言葉も通じないのに、何笑ってんだろ。

  • ネパーリーになっちゃった

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    女性部屋で何やら騒いでると思ったら、

    ヨメがネパーリーになってました。

    左はサントス(誰? と思った方は過去のブログを読んでください)の妹、アンジューです。