世界一周初心者のヨメブログです。
日の出時刻の5:30に起きるも、ムコは眠気の中。
これはどうやってもおきない気配なので、ひとり宿のベランダからガンジス川の朝日を眺める。
ゆっくりとたゆたう水面を観光客を乗せた小舟がいくつも通り過ぎていく。
朝日に向かって沐浴する人、静かに座禅を組む人。
昼間の喧噪とは別の、信仰の国インドがそこにある。
うわぁ、すごい。
…って見とれてたら上から果物の皮が降ってきた。
見上げると、猿の親子がこちらを見下ろしてる。
危うく朝からオレンジの皮かぶるところだった。。猿め!
この宿の朝ごはんは屋上のテラスでいただくのだけれど、
すぐ眼の高さに猿の住む木があって、侵入を防ぐために金網でテラスが覆われてる。
もう、なんていうか、動物園の逆バージョン。
フリーの世界に猿がいて柵の向こうから朝食を食べる私たちを見てる。
今日はマニカルニカー・ガートという火葬場に行く。
10年前にインドに来たときは見る気がおきなかった。
でも、いま、見ておきたいと思った。
生と死が生々しくそこにある。
それはガンジス川とともに生活する人々にとって自然なこと。
カルマで人生はつながっているから、死は神聖なるひとつの節目、
また生まれ変わってカルマは続いていく。
ガンジス川で死ぬために生きている人もいる。
リクシャで町を移動しているときに道端で
これから火葬される人を送り出す人たちを見た。
亡くなった人は黄色い布に包まれ、
マリーゴールドやカラフルな花や布をまとい、、
太鼓や鳴り物でにぎやかに送り出されていた。
火葬場に集まった家族は泣くではなく、ただ静かに祈りをささげていた。
すぐ隣には毎日沐浴するガート(沐浴場所)がある。
死も彼らにとっては『特別』じゃなく、
食べることや呼吸すること、ひいては生きることと同じところに存在している、
そう感じた。
マニカルニカー・ガートに向かう途中、迷路のような路地を迷いながらくねくねと歩いた。
路地は狭くて、そこらに毛が抜けてたり足を引きずってる犬がいた。
道端には出所不明の糞が転がってて、アンモニア臭がたちこめていた。
暗い店々の軒先からは常に誰かの目線がこっちに向かっていた。
あちこちに神様の像があって、額をつけて、手を合わせて祈っている人がいた。
家と家の隙間と言う隙間になにか、動物、ごみの山、人、がいた。
全てのものがギラギラしていた。
そこには『生』があった。
インドなんだ。
いま、私が感じたかったことはこういうことなんだ。
インドの1日は濃密だ。
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